ストーリー
1968年に、2630gで生まれ、小柄で虚弱な身体でした。季節の変わり目に喘息発作があり、20歳の時には救急搬送されたこともあります。
14歳の頃からギターを始め、ロック少年でした。18歳からライブハウスへ出演し、バンド活動に明け暮れていました。
バンド活動に明け暮れていた二十代前半は、友人知人が就職活動をしだした頃です。本気で音楽をやるのか、きちんと仕事をするのかという悩みを抱えながら、深夜バイトなどをしていました。
日夜逆転生活、交通事故で揉める騒動が起こったり、肉体的にも精神的にも負荷がかかってきて、まさにコップの水が今にも溢れそうな状況でした。
23歳、アトピー性皮膚炎発症
当時は湿疹と呼ばれていた不思議な病気
ある日、まぶたの上がカサカサしだして、周りの人からは疲れで目がたるんでいるくらいのものと思われていました。ところがあれよあれよと、カサカサ度合いが酷くなってきて、ある朝起きて鏡を見ると、顔全体に約1cm四方の亀裂が入っていて驚きました。
顔中がパキパキと割れて、なす術もなく、自宅にあったベビーオイルを塗りたくる始末。やがて、痒みが全身に達し、身体中にリンパ液(滲出液)が出て、お風呂から上がると、のたうちまわるほどの痛みに襲われたりもしました。
そこまで酷くなって、町医者にかかることになります。ステロイドの点滴、服用で、一気に回復に向かいました。
脱ステロイドで先が見えなくなる
アトピー性皮膚炎に対し、 ステロイドを使 用しすぎると、 皮膚が萎縮してきて、元の 皮膚に戻ることができるのだろうかという 不安や、副作用などの恐怖から、脱ステロ イドをする患者が増えました。
私もその一人で、 当時1日にリンデロンを3 錠服用しており、 TVの特集でステロイドの 恐怖を知り、独断で使用を中止しました。
入院生活
勝手にステロイドを中止し、 病院に行くの をやめたために、 またもや身体中にリンパ 液(滲出液)が出ました。 インターネットのない時代だったので、新聞でアトピー性 皮膚炎治療を専門とする病院を見つけ、入 院をしながらの脱ステロイドを試みまし た。
病院の廊下を歩くだけで、ほんのわずかな 風が肌に染みて痛く、 身体中からリンパ液 も出てきて包帯を巻きました。
入退院を繰り返し、岡山の温泉病院等にも行きました。みるみる回復する患者仲間を見送りながら、自分はアトピーの主のような存在になっていました。
いろんな年代のアトピー患者と出会い、夜通し話し込んだり、レジャーにも出かけました。
アトピー患者は痒く痛く苦しくても、仲間がいれば乗り越えることのできる病気だと気づきあったものです。そんなことがご縁で、「アトピーを笑い飛ばす会『あとっぷ』」を立ち上げ、会員さんは多い時で170名くらいになりました。
アトピーの会の代表が一向に治らない
アトピーの会報は主治医から無料で寄稿文 をいただいて、 13年続きました。 しかし、 僕のアトピーが治らないところを 「アト ピーの会長をしているからアトピーから忘 れることもできずによくならないので は? 無理せずに、いつでも会はやめたら いいよ」 と主治医に言っていただいた時に フッと肩の力が抜けました。
その後、解散し、インターネットの普及と ともに「医師からの寄稿文」としてホーム ページに掲載しております。
アトピー性皮膚炎は、喘息などのアレルギーや精神的な病気が一緒に現れることが多く、患者の生活の質に大きな影響を与える全身の病気ともいわれています。慢性的に繰り返す湿疹と激しいかゆみに悩まされます。乳幼児期や小児期に発症することが多いのですが、私のように幼少の頃は喘息で、大人になってから発症したり、一旦治っていたのが再発したりすることもあります。
20歳代で10.2%、 30歳代で8.3%、40歳代で 4.1%、50歳代と60歳代で2.5%(アトピー性皮膚炎診療ガイドライン2021)というデータがありますが、実際には病院に行っていない人もいますので、さらに多いと思われます。
好きなことをやると決める
おじさんになると、自分がどのくらい稼ぐことがきるのかが、悲しいかな想像できます。
社会生活を送る中で、金銭的にも精神的にもアップダウンを繰り返し、辛くなり、外観も変わり果て、プライドがストンと落ちた時に「残りの人生はあとどれくらいなんやろ?」と、思った瞬間、「闘病しながらでも、好きなことをしないと!」と、目覚めたのであります!
ギター1本で弾き語り
やると決めたら、自分を取り巻く環境も変わってきました。
一人でやるにはアコースティックギター1本あれば弾き語れる。ローンでギターを購入し、練習の毎日。
落語家とのご縁があり、寄席で音響のお手伝いや、弾き語りをさせてもらえることになりました。そのおかげで、人前に出ることに慣れてきて、苦手な歌も歌手との出会いで、ボイトレのレッスンをすることで、人様の前で歌えるくらいにはなりました。
想い
アトピー性皮膚炎患者だけではなく、多くの病を抱えている人が水面下にいます。苦しい時は何もできないし、何も聴こえませんが、少し体調が良くなった時に、外に出るにはきっかけが必要です。
玄関の扉を開けてコンビニに行くにも勇気と思い切りがいることでしょう。
私は残りの人生をあきらめかけていた時に、ふとギターを持ち出したのが希望の一歩でした。
ギターを弾いて歌を歌うことで希望は大きくなり、やがて多くの人に希望を届けたいと思うようになりました。
アトピー以外にも現実が辛くて、もう良くなる方法もなく、あきらめかけている人も多いことでしょう。
希望が見えない人たちのひとつの灯りになってくれたら嬉しいです。
歌を聴いて少しでも前へ進もうと思えるきっかけになればこの上ない喜びです。